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2005年 09月 10日
大阪市のヤミ年金・手当て問題で、大阪市の関淳一市長が、前市長の磯村隆文氏と歴代総務局長4人に退職金の返還を求めたことについて。
○ 大阪市が前市長に退職金返還要求、ヤミ年金存続で(読売新聞05/09/09) ○ 前市長退職金、返還要求へ(朝日新聞 05/09/09) ○ 「高額、可能?」驚く職員ら(朝日新聞 05/09/09) 「見張り番」代表世話人の辻公雄弁護士が、委員長を務める互助連合会給付金等調査委員会が提出した報告書を受けて、関市長が、前市長個人及び歴代総務局長への責任追及と退職金返還というこれまた異例の要求をしたわけです。 この新聞記事を読むと、「98年のヤミ手当て返還請求訴訟の和解条項を守らなかった」とのことで、磯村前市長を初めとする面々は大きな罪を犯してしまっているわけで、彼らが責任を追及されるのは当然でしょう。 また今回も 外部識者の厳しいチェック ↓↓↓↓↓↓↓↓ 行政が慌てて対応 という、構図になっているわけですが、大阪市民の皆さんはこれに対して何の違和感も感じないのでしょうか? 職員厚遇問題に関して、行政はその責任を問われつづけています。これだけの問題ですし責任を問われるのは当然です。しかし、問題は、それを追及するのがいつも「見張り番」がらみの、外部識者によるものだということです。 本来、地方行政のあり方をチェックするのは、議会の仕事です。議会の重要な仕事の一つは行政が適切に運営されているのかどうかをチェックすることのはずです。 なぜなら、彼らが我々の投票によって選ばれた「代理人」達だからです。それが、彼らの権利であり義務であるはずなのです。 しかし、大阪市はこの問題が表面化するまで、当たり前のこととして職員厚遇を続けてきていたのです。 おそらく、末端の職員は自分が「不当に」厚遇をうけているという認識さえもっていなかったのではないでしょうか。それほど、彼らにとっては慣例としてあたりまえのことになっていたのです。 そうなるまで、放置しつづけてきた大阪市議会とは一体なんなのでしょうか?しかも、そういった問題が表面化してからも、行政を批判する先頭に立っているのは「見張り番」なのです。 行政のチェック機関としての機能を持たない議会に一体どのような意味があるのでしょうか? 本来なら行政の責任を追及する時に、ここまで放置しつづけてきていた議会の責任も追求されるべきではないでしょうか? しかし、よく考えなければなりません。 彼ら議員は我々の投票によって選ばれているのです。彼らを批判する時、市民は自らを省みる必要があります。 前回の市議会議員選挙の投票率は47.1%、市長選は33.31%。 この数字から現れてくるのは、市民自身の責任です。 本来の地方行政の構造は 市民活動のための行政。それを監視・是正する議会。自分達の代理人を議会へ送る市民。 によって成り立つもののはずです。 しかし現状は、 行政を監視・是正しているのは「見張り番」で、市民が選んだ議会はその役割を果たしていない。 確かに、議会のするべき役割を「見張り番」が出来ているのなら問題ないと思うかもしれないけれども、彼らは市民によって選ばれた人々ではないのです。 これは非常に重要なことです。 市民によって選ばれたわけではない人々が、行政のチェック機関として機能しているのです。 まず、大阪市の問題はこういったいびつな構造を改める事からはじめるべきではないでしょうか? 「見張り番」の人々が、議会以上のチカラを持つことは絶対にあってはならないことだし、もし、本当に大阪市を何とかしようとするなら自らが議員になる、または擁立することが前提だと思います。 「見張り番」も行政による内部調査委員会も、その存在自体は是でありますが、それが議会の頭越しに行われるようでは、議会制民主主義の根幹が崩れてしまいます。 市民にとっての政治参加とは、投票が最も重要な手段のはずです。それが、市民の権利と責任なのです。 行政の罪は大きい。その義務を果たせなかった議会の責任も大きい。しかし、市民がその権利と責任を放棄したことがこのような事態となったです。 そう考えるならば、行政の責任を追及することに終始するのではなく、行政・議会・市民それぞれの責任について見直すべきではないでしょうか? そして市民は、今後そのような市長、議員を選ばないように、このことで負わされた責任を、しっかり肝に銘じて自らの権利と責任を果たしていかなければならないでしょう。
by kansai-seiji
| 2005-09-10 17:37
| 地方政治アレコレ
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